マラカスはなんでも出来る

マラカスと聞いて皆さん、何を思い浮かべるだろう。
カラオケにある、ジャカジャカするやつ。
メキシカンハットをかぶり、髭を生やした褐色のおじさんが、手に持ってるやつ。
ちょっと南米の音楽が好きな人だと、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのおじさんが振ってたやつ。
少しGoogle先生に頼ってみよう。”J-Pop マラカス”。
「シモキタ音頭(馬浪マラカス団)」、「花とマラカス(THE MARGALET LOVE)」、「FM79.5 11時〜「ジジイ放談〜怒りのマラカス」 」。
それぞれを聞いていないから実際はわからないが、正直キワモノ感半端ない。「怒りのマラカス」ってなんだ? 振るのか。それとも割るのか? 割ったって、転がっていく中身が見えるわけでもなし、なんにも美味しくないだろうよ。
一番最初に至っては、シモキタどころかシモネタじゃないか(実はこの解釈は、スペイン語的には正当だったりする)。
日本ではこんな散々な扱いのマラカスに対して、すごい情熱を傾ける人たちがいる。それが「マラケーロ / Maraquero」だ。特に僕の師匠が何気なく言った一言は、僕を打ちのめした。
「マラカスは自由だ。なんでも出来る。ピアノやドラムセットみたいなもんだ」
そりゃ、「ピアノは一人でオーケストラ」という言葉があるくらい、クラシック音楽をやったことのない僕でも知っている。「のだめ」にも書いてあった。
門外漢の僕が語るのも変だが、ピアノは7オクターブもの音域がある。普通優秀な歌手で4オクターブぐらい。そして、本来ピアノ・フォルテ(ピアノ=弱い、フォルテ=強い)と呼ばれていただけあって、鍵盤を叩く強さやニュアンスによってその音量も音色も自由自在。
その優秀さからか、日本でソロリサイタルと言ったら、チケットが売れるのは決まってピアノ(あとはヴァイオリン)だ。辻井伸行さんの名前は、記憶にあたらしいことだろう。彼の出る公演は、いつも満席だ。
でも、マラカスはないだろ、マラカスは。
その当時、南米ボリビアに住んでいた僕は、その1年前に東京でベネズエラ・マラカスの基礎を教えてくれたこの師匠を訪ねていた。日本から20時間かかるベネズエラだが、ボリビアからなら直行便で5時間強。日本から香港程度の距離だ。時間的にも、心理的にもぐっと近い。
ベネズエラの名所エンジェルフォールの滝も見終えて、軽く現地のミュージシャンたちと遊んで帰ろうと師匠を訪ねたのだった。
南米カリブの国ベネズエラ。ガソリンが水よりも安かった国の片田舎で、真新しい国道にピカピカの愛車を走らせつつ、両手放しでBGMの太鼓のリズムを模倣していた師匠は言った。
それまで、師匠の手放し運転による恐怖で絶叫していた僕の脳内は、はたと静まり返った。
「本当にそんなこと出来るんだろうか」、「だってジャカジャカ。僕が出来るのもいいところカチカチ(強く鋭く振って、ピンポイントで音を鳴らす)とか、シャッ(横向きに強く振る。ブラッシング)程度だぜ」、「口ではそう言っているけど、あくまでベネズエラ音楽の枠内のバリエーションなんじゃないの」。
そんなことを考えていると、「これ、俺の新作。マラカスのリードアルバムなんだぜ」と言って、師匠が白いCD-Rをカーステレオへ突っ込んだ。
「ん?マラカスのリードアルバム?伴奏じゃなくて?」。もはや意味不明である。
でも、1曲めが流れてきて1発でわかった。少なくとも、これは自分の思っていたマラカスじゃない!
明らかにメロディを奏でている。コーラスに応えて、歌っているのだ。
ときに、ドラムセットのように強く叩き、スネアドラムのようにロールをかき鳴らす。
2曲めに至っては、ベネズエラ音楽ですら無い。そしてドラムセット、エレキベース、サックス、キーボードを従えて、マラカスが主役だ。タイトルは師匠の名前 Laya をかぶせた、「Layazz」。センスはベネズエラ的か、それを下回るように思うが、音楽は良い意味で意味不明だ。
目的地までのドライブの間、ずっとそのCDを聞いていた。どれもマラカスとは思えない。
目的地は、昼間っから金持ちの家で。音楽家たちが呼ばれて大宴会をするという、バブリーなイベントだった。そこにいたマラケーロ達を注視していると、師匠ほどでないにしても、皆伴奏楽器ではなく、あくまで主役を時に食う勢いで、マラカスを振っている。
どうやら、師匠だけが特別というわけでもないらしい。
圧倒されつつ、また昼間っからベネズエラのビールを(水のように薄いとはいえ)15分毎に飲み干しながら、かじりつくように動画を撮りまくった。
「こんなすごい楽器、地球の裏側でほうっておくのはもったいない」、「自分でできたら、絶対うれしい」、「他人に見てもらったら、驚いてもらえるだろう」。
色んな思いが去来した。
大量のビデオを撮り、その後みっちり訓練をつけてもらい、その後も事あるごとに師匠に習いに、ベネズエラや、彼の引越し先であるマイアミへ訪れる。
いつ見ても、それどころか見る度に、彼のマラカスは進歩している。オーケストラとやりあっても、(良し悪しは別として)圧倒できてしまうのではないか、と思うぐらいに。
今も忘れられない。車が目的地について、彼のCDを止めたときの一言。
「な、マラカスはなんでも出来るだろう?」。
今日も僕は、お客さんの前でマラカスを振っている。あの驚いた目と口、演奏中なのに真似しようとして動く手がたまらない。
ベネズエラで仕入れてきた、マラカス販売しています。日本で売っているのは僕を入れて3人未満、そのうちマラカス専門家なのは僕ぐらいでしょう。
レッスンもしておりますので、マラカスでもなんでも演奏してみませんか。
興味ある方、お問い合わせください。