世界最高峰のケーナ ​ロランド・エンシーナス

Quena of Rolando Encinas

ロランドの演奏するケーナは、切り欠きによる歌口と管体に直接開けた指穴という、尺八に似た構造の竹笛だ。南米アンデス地域広範に広がる土着の笛を祖に持ち、20世紀前半には民族要素を強調するためにギターやマンドリンなどと一緒にアンデスの都市音楽フォルクローレに使われ始めたが、その土着性は、当時の西洋系住民から忌避されていた。しかし、ケーナは1960年代に欧州のラテン音楽ブームで取り上げられ、1970年にサイモン&ガーファンクルのコンドルは飛んでいく/ If I Could〉により、世界中に知られることになる。その結果、ケーナやフォルクローレはボリビアでも評価が高まり、徐々にボリビア全体で受け入れられるようになっていったのだった。

 

ロランドはフォルクローレ黎明期1960年代より、音楽と舞踊の奏法を並行して修める。

フォルクローレの創始者の一人であり、世界的チャランゴ奏者エルネスト・カブールからケーナを与えられると70年代から各地の国際フェスティバルに一奏者として参加して名を挙げた後に、「フォルクローレ2000」、「ロス・パヤス」、「(最初期の)カラ・マルカ」、「ボリビア・マンタ」、「ワラ」などの時代の最先端を歩むバンドに参加。ソロ奏者やプロデューサとしてスルマ・ユガール、エンリケタ・ウリョア、アルミンダ・アルバ、ハイメ・フナロとも共演を重ねた。

1986年、徐々に単純化し、レゲトンなどの外来音楽に侵食されるフォルクローレに危機感をロランドが抱いていたころ、19世紀末から20世紀初頭の西洋とボリビアの混血(クリオーリョ)音楽に出会い、ロランドは魅了される。西洋のドヴォルザークやムソルグスキーにJ. シベリウス、中南米のマヌエル・ポンセやヴィラ=ロボスのような、国民楽派(民族主義)の音楽にあたる混血音楽を復興させるために、ロランドは民族楽器オーケストラ「ムシカ・デ・マエストロス」を設立。このオーケストラは1989年の処女作発表以来、ボリビア音楽界の多様性の一角を担いつづけている。

ロランドは海外との縁も深い。欧米や日本へ3000回を超えるツアー・演奏を行った。1990年代初頭に、大手レコード会社キングレコードでのソロCD録音のために来日して以来、日本のファンを魅了しつづけている。

ボリビア、日本、欧米のどこにおいても世界最高峰のケーナ奏者と評され、50年以上の芸歴を持つロランドだが、その創作意欲はとどまることがない。標高3,600mの首都ラパスの寒い自宅にて、毎朝5時から作編曲を行い、毎年の新作CDを発表している。その進化し続けるさまは「生けるケーナの伝説」といえよう。